−NZ 旅行写真集−
2016年1月21日から28日、40年振りのニュージーランドを旅しました
(Var2.8)
今回の旅 前日は成田駅前に泊まる <21日> 成田をNZ航空14:40発で離陸 <22日> 約12時間の飛行でNZ北島のオークランドに到着する (昔はシドニー経由で直行便は無かった) NZとの時差は+4時間 更に国内線で2時間の南島のクイーンズタウンに飛ぶ 機上からサウザンアルプスが下に見える =SOUTHERN ALPS= ************************ NZで最初の昼食は公園で鳥達と NZの夏は21時頃まで明るい。 クイーンズタウンに着いて夕方6時半から ゴンドラに乗り山上の展望レストランで食事をする (昔はゴンドラに乗っただけだった) =QUEENSTOWN= 食事後に マオリの戦いの踊り「ハカ」のショーを見る NZのラグビーチーム・オールブラックスが 試合の前にやる、あれだ 観客も壇上に上げられ、「ハカ」の体験をする =HAKA Show= アンタの目が大きく開いていないヨ! |
40年前の記憶 1974年12月13日から翌1月15日に(大昔だ!) Mtクックに遠征をした 当時はNZまでの直行便は無くてシドニー経由だった 飛行機もJALのDC-8の時代で座席は左右2席の4列だった。こんな狭い座席で体の大きい外国人はよく平気だなと思った 約16時間の飛行だった オーストラリアに入り一眠りしても 下に見える砂漠の景色が変わっていないので その広さに驚いた シドニーからクライストチャーチに到着した 2011年の大地震で倒壊した大聖堂の塔 今は無いその塔に登り街を眺めた 時はクリスマスシーズンだった ==================== クック登頂後には南島の南部を回った 当時のクインズタウン(あまり変わっていないか) 公園でパットゴルフをして遊んだ (夏だけ開かれるYHに泊まったのだが 今回その場所を探したが判らなかった) |
<23日> 朝7時半にバスで出発して19時半に戻ってくる ミルフォードサウンド一日観光へ、 激しい雨の中を行く 両側に迫るフィヨルド地形が見えない しかし雨のミルフォードも良いと言うそうだ 確かに滝の数が増し迫力がある景色を見られる =MILFORDSOUND= 昔見た晴天の日のボーエン滝とは違う大迫力 =BOWEN Falls= アシカも雨で静かなのか? こんな滝も晴天が続けば消える 常に流れている滝はボーエン滝と このステアリング滝の2カ所だけ =STEARING Falla= 途中の沿道でも 続いた雨で沢山の細い滝が道の両側から落ちる ミルフォードに抜けるトンネル入り口だ |
************************* ミルフォードトラックという世界的に有名な、4日間を掛け小屋泊まりで歩くトレッキングルートがある。当時はそれを知らなかったのでそこを歩かなかった事が勿体なかった (今回も1日間のショートカットコースも有ったのだが、今の自分には一日でも歩くのは無理だろうとあきらめた!) ************************* ミルフォードサウンドにも行った、雨ではなかった 可愛い女の子と遊覧船上で (この固まり気味の女の子も今は50才位なのだろう) (この写真はミルフォードの海ではありませんでした 下の写真のクインズタウンから牧羊ショーへ行く 時のワカティプ湖上での写真でした) 当時のステアリング滝 ******************** 当時もクライストチャーチからクックへはバスで移動した クック村には入ったが風が強くてプラトーハットまでの飛行機が飛ばず5日間待機させられた YHが予約のミスで泊まれなくなり、NZアルペンクラブの小屋のアーウインハットに移動したそこで二組のキーウイ(NZ人)山友達ができた |
<24日> 朝8時出発 クインズタウンからマウントクックへ 南島内の移動はいつも このGreatSighatsバスでする ここからは天気が良ければ 正面にAORAKI Mt Cookが見えるはず アオラキはマオリの山名 12時半、ついにマウントクック村の ハーミテージホテルに到着する ハーミテージは世界的にも名の聞こえたホテルで 夏のシーズンには予約を取るのも難しい 40年前の貧乏山登り人には このホテルに泊まることなど思いも及ばなかった。 今回2泊の予約が取れたのでNZに来ることを決めた http://www.hermitage.co.nz/ja ハーミテージ゙のサイトです ウェブカメラも見られます http://www.hermitage.co.nz/ja/ウェブカメラ 現在のクックの様子が見られるので、今(現地+4時間)は 晴れて見えているかな?と気になって見ています。 するとスッキリと晴れてクックが見えている日が多いです。 今年は天候不順と言う話はどうしたのだろう!(笑い) これからNZの冬に向かっていく景色の変化を 見ることが楽しみです 本当ならば真正面にMtクックが見えるはず =HERMITAGE= 19時過ぎにビュッフェ式の夕食 (昔はこのレストランの中には入らなかった、入れなかった?) 窓にはヒラリーのステッカーが さすがにハーミテージホテルだ、NHK・BSが入る 琴奨菊の初優勝場面を見る 部屋に掛かる絵 |
待機中にフッカー氷河でアイスクライムのトレーニング この4人乗りスキーセスナで中々スリリングな飛行をしてグランド・プラトーに着陸した。プラトーの雪の状態が悪く着陸をやり直した。20分位の飛行だったか? そのセスナは我々を降ろし離陸する時にスキーをぶつけて一本落としていった程だった。 後で別の飛行機がその落ちたスキーを拾いに来た(笑い) 我々はついに登頂のベースになるプラトーハットに入った 登るルートに予定をしていたリンダ氷河ルートはその年の状態が悪く、登るのは困難とビジターセンターで聞いてルートの変更を考えていた でも同時期に日本医大山岳部が遠征をしていて、既に登頂を果たしていた彼等からリンダ氷河の通過が可能との情報を得ることができた。 しかし一回目のアタックではルートを間違えた!! 23時にヘッドランプを付けて小屋を出発した。氷河の右側から落石の不気味な音と巨大な石がぶつかる火花も見える中、クレバスを避けながら薄暗闇の中を登った。 写真中央上に写る平らな所がグランドプラトーだ、ここにセスナが下りる。本当は手前に見える尾根に回り込んで取り付かなければいけなかったのだ。 でも我々はリンダ氷河を真っ直ぐにグリンサドルの鞍部まで登り詰めてしまった。 間違えたヨ!と苦笑い 後方はMtタスマン この時に一緒にルートを間違えた ロール、クリス組の二人とは友達になった 2日後の2回目アタックでは正規の尾根に達した 一度尾根を左側にトラバースする 左側のクック東面がスッパリと切れ落ちていた 一番スリルのあった所だった 1年間の準備を経て ついにMtクック頂上に立った (1991年と2014年にこの頂上アイスキャップ部が40mも崩落した。我々が登った時の標高3764mから現在の3724mに訂正されている) プラトーハットに戻り満面の笑みがこぼれるてきた プラトーハットからのクック東面 プラトーハットのキッチン 日本医大隊と共に入山していた剱澤小屋の佐伯文蔵さんが、「この小屋のようにナイフ、フォークなどの食器類を備えておける小屋を日本にも作りたい」と話をしていたことが印象に残った 下山はタズマン氷河までハースト氷河を降りた上部には60−70mの垂直に近い雪壁があり、全装備を背負っていたので苦労した ハーミテージまで8時間位は掛かったか? |
<25日> 今日も晴れず!! NZの今夏は天候不順なのだそうだ 結局氷河見物にも行けなかった ハーミテージの全景 (昔は一番高い建物は無かった) 今回の目的の一つが40年前の登頂記録を入手することだった 結局ビジターセンターの倉庫を自分で探させてもらい そのコピーを入手することが出来た。 パーク・レンジャーGuyさんとKimikoさん(日本人女性)の お二人に探すのを手伝って頂く。大感謝!! Mtクックは1894年に初登頂された 日本人の初登頂は1966年だった 我々は多分日本人の20登目ぐらいではないかと思う 公式の全体記録では463登目となっている しかし記録簿にサインをしないパーティーもいるので 初登頂からは500番目位だったのだろう? 写真の左上に I Ishikawa、S Obayashiのサインが見える =The Records Book= ハーミテージから約5キロに在る NZ山岳会のアーウイン・ハット(小屋) (昔何日間も泊まりお世話になった) 外観はあまり変わらない感じだが 内部はきれいにリニューアルされている 昔2日間泊まったユ-スホステル (予約のミスで3日目からアーウインハットを紹介された) こちらも当然だがリニューアルされている 雨と風が止まず |
当時のタズマン氷河 (現在は温暖化で10キロ近くも後退してるという 今はどんな様子になっているのか) 当時のビジターセンター センター前の芝生がクライマー達のたまり場だった 当時のアーウインハット ハットで友達になったピーター、ラッセル組だ 右のラッセル・ブロイスは世界的に有名な登山家になっている。当時から山岳ガイドになると言っていた。 前日から我々と反対側のイーストリッジからクックを縦走していて頂上でビバークをしていた。我々は下って来た彼らとアイスキャップの下で行き会った 登頂してヘロヘロになって下ってきた我々を見て、折角乾かした登山靴を履いて靴が濡れることもいとわず雪の上を小屋から向かえに来てくれた。私はゴーグルの中で涙が出た。 グッドフェローだ!! 彼等とは登頂前にボール氷河でアイスクライムのトレーニングや、登頂後の下山前には、グランド・プラトー北側のアンザックピークにも一緒に登った クライストチャーチの彼の実家にも招待された 当時の郵便局 (今は郵便局ではなくなりトレーニングジムに使われているそうだ) クックを去った日 余分な荷物を郵便局から送り返した |
<26日> 今日も雨は止まず このガラスにMtクックが綺麗に映るはず 翌日のクックの天気予報は晴れだった!! 13時45分バスでハミテージを出発 クライストチャーチ空港へ プカキ湖、この青い水は氷河の水が流れ込む堰止め湖 (この湖は昔は無かった。ガタガタの河原を走った記憶がある) =Lake PUKAKI= 途中のテカポ湖畔 世界的に星空がよく見える場所として有名で 夜間は光を出すことが規制されているそうだ 後方の山上に天文台が在る =Lake TEKAPO= 市街地以外の一般道は制限速度が100キロ バスのドライバーは身振り手振りで観光案内を しながらの運転だ 18時45分クライストチャーチ空港着 昔のローカル空港から近代的国際空港になっている 国内線の19時55分発でクライストチャーチ離陸 21時15分オークランド空港着 |
窓ガラスにはこんな綺麗にMtクックが映っていた 道路を横切る羊をバスは待つ (今回はこういう光景には出会わなかった NZの羊飼育数はウール需要の減少で減っている 羊に代わりに今回は牛と鹿の牧場が目に付いた) 牧場での牧羊犬ショーや お城の観光などもした |
<27日> NZ最大都市のオークランド スカイタワー(328m)は南半球で最も高いタワー (当然昔は無かった) 市内には高層ビルが林立している 朝7時出発のワイトモ、ロトルアへの1日観光へ 「ワイトモ」はマオリの聖地の鍾乳洞 =WAITOMO = 鍾乳洞の入り口 土ボタルで有名な鍾乳洞の中では 撮影、照明、騒音は禁止なので写真は無し 鍾乳石を見て途中からゴムボートに乗る 土ボタルは光、音、震動に敏感なのだそうだ 日本語ではボタルとはいうが蛍の仲間ではない ボートが静かに進と洞窟の天井で 青白く無数に光る土ボタルが見えてくる 息を呑む程きれいな光景で 普通ならワァーと歓声が上がるだろう しかし事前に禁止されているので 20人程の乗船客達は皆が無言で静かに感動する これは中々得がたい状況だ 来て良かったと思う 洞窟の出口でボートを降りる ロトルアでもゴンドラで上がり 展望レストランでの昼食 ロトルア湖 一瞬という感じで青空が拡がる この車で1日ツアーをした 同行者は留学中の女子学生が1人 日本人女性ガイドさんは往復約600キロを 説明をしながらの運転で大変だ ロトルアは別府と姉妹都市の温泉町 NZでは地熱発電も盛んだ 後の建物は温泉博物館だったと思う?? 昔のマオリの倉庫、ウナギの干物が掛かっているとのこと NZのウナギは巨大なんだそうな 南半球で最大という間欠泉 丁度豪快に吹き上がっている 有名なキーウイ鳥の剥製 体に比べて卵が特別大きい 天然記念物で夜行性なので 真っ暗な中で飼育されている所があったが でも暗くて見えなかった ロトルアからの帰路 唯一だと感じる青空が拡がる 起伏の多い南島とは違い 平らな牧場が続く北島らしい風景だ しかしその1時間位後には 年に一、二度有るか無いかという程の豪雨に遭遇する オークランドに近づいた高速道路では前が見えない程だ NZは“朝昼晩と一日に四季が有る”とよく言われる とにかくNZの天候は変わり易い 19時10分オークランド帰着 大橋巨泉の店で土産品の買い物をし、 スーパーで夕食の食料調達をして 最後のNZの夜をすごす |
当時のオークランドで一番高いビル NZは日本の7割の面積だが 当時の人口は360万人だった (現在は460万人に増えているそうだ でもオークランド以外では人が増えているとは 感じられなかった) クックの1回目アタックで一緒にルートを間違えた ロールさんの家に泊めてもらい オークランド市内を案内してもらった ロールさんはその後 世界旅行の途中に来日した 我が家にも泊まり 穂高と富士山などを一緒に登った 京都見物などもした <=================> (今回の写真です) マオリの彫刻 <=================> =================== 1ポンド(約450g)1ドルの特売牛肉を買った クライストチャーチの肉屋で 当時は1ドルが360円だったが (NZは農業国なので食料や安いと思っていた しかし今回NZで物価が高いことを知った 農産品は肉もキーウフルーツもワインも良い物から 輸出に回されてNZ国内では一番悪い物しか 手に入らない、とガイドさんの話しだ) ==================== 通貨事情 今回は成田で1NZ$=82.55円で100NZ$を 両替して現金を持って行った 後は現地でカードキャッシングして 必要な額を引き出すつもりだった でもNZはカード社会が発達していて現金を使う場面が 殆どなかった。実際に直接現金が必要だったのは 15NZ$だけだった。 記念として紙幣とコイン20ドル分だけが手元に残っている 買い物は10セントでも、どこでもカードが使える 私は普段日本ではカードを使う事が殆どない しかしNZではカードの便利さを実感してきた 後日カード会社から来る請求額が心配だが!! |
<28日> 10時にオークランドを離れる 日本時間16時20分成田に到着 帰りは10時間20分の飛行だった 心配をしていた腰痛の方も何とかもってくれて無事今回のNZの旅が終わった |
当時はNZ→日本の航空券で 帰路をフィジー経由かハワイ経由が選べたので 最後の6日間ハワイに寄り ハワイ島のマウナケアー(4205m) に登るというオマケが付いた |