チェンダ記
釈迦は80歳まで生きた。死期が遠くない事を感じ、ラージギルの王舎城から生地のカピラ城に向かう釈迦最後の旅にでる。
その途中で鍛冶屋のチェンダから食事の布施を受ける。しかしその食事に当たりすでに弱っていた釈迦はさらに衰弱して死期を早めることになる。そしてクシナガルに達した時、ついに入滅・涅槃に至るのだ。
その途中でチェンダが捧げられた食物は日本では「キノコ」とされているが、インドでは「豚肉」とされているらしい。私は豚肉という説があることは知らなかった。つまりその時に本当に釈迦が食べた物が何だったかは伝わってはいなかったのだ。だから危ない食物ということで日本では「キノコ」とされ、インドでは「豚肉」とされているのだろう。そしてインド説は多分、10世紀イスラム時代になって以降の説なのではないかと想像した。
それはとも角として、その後のチェンダのことが気になる。釈迦は随き従う弟子達に、チェンダが供した食事で自身が死期を早めた事を話してはいけない、と言い残した。そして残ったその食物を土に埋めて他の者は食べてはならないとも言ったという。(見てきたような話だが)
しかしこれは当然の話だろう。釈迦を慕い敬する他の仏教信者達から、カーストでは低い立場のチェンダが恨まれ迫害を受けてもおかしくない。そのことを案じた釈迦は他の信者に伝わることを止めたのだろう。しかしチェンダの食事により釈迦が死を早めたことは他にも知られることになった。その証拠に二千数百年後の我々も今その話を知っている。
チェンダ自身は悪い食事に気が付かずに、それを釈迦に供したことを多いに悔いて死ぬほどの自責に苛まれたであろう。
でも鍛冶屋のチェンダがその後に他の信者に迫害されて死んだという話は聞かない。
にもかかわらずそんなチェンダを迫害するどころか、後の仏教徒がストゥーパを造り守っていたことに私は感動したのだ。
ーおわりー
◎この旅で仏教の寛容を感じた気がした。
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