◇4,感じた宗教

この旅は仏跡を訪ねる旅だ、だから宗教を巡る旅ともいえる。

私は普段「趣味の仏教」などと”罰当たり”な事を言っているが

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◇成道の地、ブッダ・ガヤ大塔で瞑想する僧


ブッダ・ガヤのマハボティー寺院は釈迦が悟りを開いた成道の地として、八大仏跡の中で最も有名な地だ。

世界各地からの巡礼者や観光客の数が一番多く、その分だけ土産売りも多い。
大塔の周りは礼拝や読経をする巡礼者が一パイだ。その周囲の喧噪の中で一人静かに瞑想する僧を見た。
タイかミャンマーかスリランカか、またはチベットからなのか、どこから来た僧なのだろうか?

◎この旅で最も静けさを感じた

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あちこちの仏跡で見た祈りの姿

◇ブッダ・ガヤ、この菩提樹の木の下で釈迦は悟りを開いた

菩提樹(三世代目とか)の基での祈り

夜の祈り                       昼の祈り


欧米人も五体投地の祈り                  タイ巡礼団の祈り


5人の修行者に釈迦が最初の説法をした模様のモニュメント

金色の袈裟姿の祈りなので、今イチ ピンとこない(右はK氏撮影)

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初転法輪の地、サルナートの祈り         チャウカンディー・ストゥパの祈り

僧の説法を聞く巡礼団員か

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釈迦生誕の地、ルンビニ園の祈り

にぎやかな仏教の五色旗の下で

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涅槃の地・クシナガルの祈り


涅槃堂の外で中で                                金色の涅槃像に


庭園で                      荼毘塚で

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インド側カピラ城址、ビブラハワの祈り

三人の僧が広い遺跡の中で

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霊鷲山の日の出

この鷲の形をした岩から霊鷲山と呼ばれる

頂上の警察官 

頂上で日の出を見るために、まだ薄暗いうちにヘッドランプを点けて登山道を歩き始めた。
すると自動小銃の警察官が後になり先になり付いてくるので気になる。
しかしガイド氏によると、数年前に強盗事件があり、以来警備のために同行するようになったそうだ
それを聞いたら「これは失礼」、我々を守るために付いてると知ると近親感が湧いた。(勝手なものだ)
頂上には銃を肩にした警察官がたくさんいた。

登山道

猿も牛も人間も歩く、良く整備されたこの登山道、
元はマガダ国のビンサーラ王によって造られた。
そして近年ではダライ・ラマによる寄進で整備されたそうだ。

霧の掛かる麓の景色                 途中のアーナンダ窟

霊鷲山の仏跡も何処の山なのかすら忘れられていた。
明治時代に日本の大谷探検隊が岩の形から霊鷲山を特定し、以後の発掘が進んだ。
当時の周囲は蛇や虎の生息する密林で、大谷隊は幕営しながらの困難な調査をしたそうだ。

頂上の礼拝所

それ程広くない礼拝所には既にタイの巡礼団がいた。

すると小さな言い争いが始まった。
タイの巡礼団がスピーカーで読経を流していたので、
ここは静かに読経をするところなのでスピーカーを止めろ、
とインドの仏教徒と若いタイ僧の押し問答だそうだ。

タイ側が多人数で礼拝所を占拠気味だったので、少人数のインド側は少し面白くなかったのもしれない。
タイ側には、しっかりと仏に読経が届くように、とスピーカーを使う習慣が有るのかも知れない。

同じ仏教徒同士の小さな争いだった。
もしこれが宗教が違う者達だったら・・・・と考える。
人類は宗教と民族そして主義で、なんと多くの争いをしてきたことか。

◎この旅で出会った小さな宗教内戦争(大げさだが)だった。

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チェンダ塚


この路地の先にチェンダ塚があった。

クシナガルに向かう幹線道路の途中から別れ、
我々の大型バスが細い脇道を少し強引な感じで進んだ。

バスが止まった場所から路地を抜けた先にチェンダ塚があった。
私は鍛冶屋・チェンダの為の塚が造られていたことを全く知らなかった。

釈迦は最後の旅の途中でチェンダから供された食事を受ける。
だがその食事に当たり、死期を早めクシナガルで涅槃・入滅する。

釈迦は自らを仏とも神とも言っていたわけではないが、いかにも人間的な話だ。
そのチェンダの塚が造られ守られていたことに感動した。

◎この旅で一番感動した遺跡だった

チェンダ記
   ← 鍛冶屋チェンダの話はこちらで


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ヒンドゥー教徒の祈り

サンカシャ塚上のお祭り                     ガンジス河岸の毎夜のプジャ(礼拝)


クシナガル・涅槃堂の近くの祠堂で神様の象に

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イスラムの風景

道路脇のカラフルなイスラム教徒の仮墓
後に正式な墓に埋葬する為の仮墓だそうだ。
今回インドで感じた現代のイスラム教はここだけだった

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この他に日本の宗教も感じる場面がいくつかあった。
○ブッダガヤの白亜の大仏像
○祇園精舎近くの梵鐘         
どちらも日本からの寄進・建立されたものだ。

大仏には単に大きさを誇るために、
鐘には単なる日本人の郷愁のために、
ではないかと私はヘソ曲がりに感じた。

釈迦の時代インドには鐘を使うことはなかったそうだ。
平家物語の「祇園精舎の鐘の声・・・」を日本人は皆中学で習うので知っている。
だから本当の祇園精舎で鐘の音を聞いてみたい、という文学的な感慨が分からないでもない。
でもこのインドで歴史的、宗教的な意味があるのかナァー。

又、日本人の僧侶団ツアーと思われるグループに何度か行き会った。
スニーカに野球帽姿の彼ら日本の宗教者達に対しても、
強く違和感を感じた。

このインドの旅で他の国から来た多くの仏教徒の祈る姿を見てきた。
それに比べて宗教プロの我が日本人僧侶達は、
あの人達のように祈ることはあったのかナァー。

それに引き替え「私はクリスチャンなので拝むことはしません」
とこのツアーに参加していたO氏の姿勢には理解できた。

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私がこのインドの旅で感じた宗教の一断面でした。

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