◇5,交通事情

インドを表すのによく「混沌」という言葉がよく使われる。
私もそうだなぁー、と思うがインドの交通事情に最もそれを感じる。
日本人から見るインドの人と車の行き交う様子は正に混沌だ。

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◇アッ!!逆走ダ!!

右側車線を逆走する我がバスと、向こうからこちらに走って来るトラック

インドはイギリスの植民地だったので、日本と同じで車は左側通行だ。
バスの旅2日目、バラナシからブダガヤへの途中で、
反対車線をサイレンも鳴らさないで逆走する警察車両を見た.

アラ!アラ!インドの警察は良くやるなぁー、と見送った。

ところが何と!!我がバスも中央分離帯が切れた場所から反対車線に入ったのだ。
元々のけたたましいクラクションを鳴らしながら“パパカ、パパカ、パー”と突き進む。
当然前方からは対向車のトラックやバスも“パパカ、パパカ、パー”と鳴らしながら向かってくる。
でも相手の車が歩道側車線に避けて正面衝突をすることなく通り過ぎて行く。

しばらく走り休憩のためにバスはガソリン・スタンドにすべり込み停車した。
インドでは道路の両側均等にガソリン・スタンドなどの施設が無い。
そのためにその施設を利用するのに反対車線を逆走する事が許されているようだ。
正に究極の自己責任的な通行規則で、我々日本人にはこれも混沌と映る。

バスは休憩後に再びしばらく反対車線を走り、次の分離帯の切れ目から元の車線に戻った。

◎この旅で一番肝を冷やした場面だった

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でもその混沌の交通事情の中でも、お互いに怒鳴り合っている場面をほとんど見なかった。

マトゥーラの街中の混雑

旅の最終日にデモで橋の通行止めがあった。そのためアグラに引き返してからデリーに戻ることになった。
そのデモのためかマトゥーラの街を出る際、渋滞に捕まった。

私は所在なくほとんど進まないバスの上から外を眺めていると、
客を乗せたリキシャの老人に、バイク屋の親父が怒鳴りながら殴り掛かっている。
するとまわりの人達がバイク屋をなだめながら、
リキシャの老人には早く向こうへ行ってしまえと、皆で混雑の中を押し出して行かせてしまった。

店の前に並べてあったバイクのブレーキ・ハンドルにリキシャがぶつかって折れたらしい。
ブレーキハンドルが折れてブラ下がっている。
確かにこれではそのバイクは売り物にならない。
リキシャが行ってしまった後も、親父は憤懣やるかたないという感じで怒鳴っていた。

私はバスの上からその一部始終を目撃した。

◎この旅で出会った、只一度の怒鳴り合いだった気がする



ピタリとついた前のバスとの間を人が通れれば人が通る。
自転車が通れれば自転車が通る。
リキシャが通れればリキシャが通る。
一寸のスキ間を見逃さないで横切っていく。


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◇その他の交通手段

バラナシのリキシャ

バラナシで早朝にホテルからガンジス河岸までリキシャに乗った。
リキシャには勿論変速ギヤーなど付いていないので、運転手達は目一杯の立ち漕ぎで大変な仕事だ。

同行のAさんとHさんなどは、上り坂では老運転手を見かねて車を降りて押して歩いたそうだ。


貨物三輪が             牛の群れも              トラクタで


ネパール・ルンビニ村のバス待合い所

これは何かとガイド氏に聞くとバス停とのこと、
バスがいつ来るかは分からないと笑う。
チョイと一休み場所だ

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◇インドの鉄道事情

英国が統治していたインドは鉄道が発達している。
歴史も古くレールの総延長距離は世界第5位で日本の倍以上だ。


この日は450キロ以上の行程なので、まだ暗いうちにラクナウのホテルを発った。
しかし出発して直ぐに踏切に引っ掛かった。
珍しく上下線の列車が通過するとのことで20ー30分も待たされた。

ラクナウでの踏切待ち

大急ぎで撮り鉄に変身の日本人            その日本人撮り鉄達を眺めるインド人


踏切が閉まっていても自己責任で列車が来なければドンドン渡る

◎この旅で一番ユッタリとした混沌(?)の風景だった



バラナシ駅のプラットホーム、いつも混雑         英国時代の橋脚跡か?


ほとんどの踏切にはノンビリとした踏切番がいた。

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◇地図を読む

インドのドライバーは地図を読む習慣が無いのかも知れない。
地図を見せて、”何処に行くのか?どの道を通ってきたのか?”
と聞くと二人で散々考えて示す位置が、とんでもなく関係ない場所を指す。

北インドのコースの全てを記憶で走ることの出来る彼らも、
発展が著しく地元ではないデリー市内の道は案内人が付かないと走れないそうだ。

幹線道路は混むとのことで、途中脇道を選んで相当の距離を走ったようだ。
でもその田舎道はドッスン、ガッタンと酷い悪路が多くて余りスピードが出せなかった。
だから幹線を走るのと脇道を走るとでは結果的にどちらが早かったのだろう??


バラナシからクシナガルへの途中
写真では良く分からないがこのアスファルトの道路にも大きな穴が続く
横断する牛達には関係ない穴だが、
我がバスはドッスン、ガッタン、ドッスンが続く。
この路面の補修は直ぐには行なわれないのだろう、
穴はドンドンと大きくなっていくに違いない。

世界一良い路面とも言われている日本の道路だ。
その良い道に慣れた日本人には、
このドッスン、ガッタンの連続には結構こたえた。
日本もほんの数十年前までは同じような道だったのにだが。

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◇ツーリスト・バス事情

14日間のこの旅でバラナシからデリーに戻るまでの12日間をこのバスで巡った。

我々のバスだけでなく大型のツーリスト・バスは皆ピカピカに光っている。
毎朝ドライバー氏達が一所懸命磨いている。

でも外観に比べて車内はかなり疲れている。
動かないリクライニング・シートが有ったり、
エアコンの吹き出し口のフタが取れている所があるので、
レジ袋を突っ込んだりする吹き出し調節が必要だ。
40座席に11人しか乗っていないので余り問題はないのだが。

高速のインターチェンジ

1年半目に完成したと言う、アグラとデリー間の真新しい高速道路はピカピカだ。


この旅の最終日、もうデリーが近い

夕日の沈むデリーに近づくとビルの建築ラッシュの風景が車窓に続く。
北インドとは違う、急発展する現在のインドを目の当たりにした気がする。


◇我等がドライバー氏と運転助手氏

◎この旅で一番働いた二人だ

毎日ホテルには泊まらないでバスの車内で寝ていた。
最終日デリー空港で我々を降ろした後、もしデリーでの仕事がなければ、
これからバラナシまでの約700キロを戻っていくそうだ。

ご苦労様!!

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