小史あとがき
先の「大田次吉小伝」に続きこの「大田次吉先生居合小史」(以下、居合小史と記す)を著すに当たりある種の逡巡を覚えた。「小伝」では、我々が見聞きしたことをそのまま纏めるだけで先生の人となりを伝えられると感じていた。しかし今回の「居合小史」では、本文にも示した様に我々門人が四分五裂とも云える現状であり、差し障りの有る事も出るだろうと感じられたからである。それでも資料の収集や落合先生をはじめ先輩諸氏からの話を伺う事は始めていた。その過程で先生が昭和3年に有信館を訪れて居合を断念して、戦後に居合を再開した時期がいつなのか?という事がなかなか判らなかった。それは先生の居合道史のターニングポイントとも言えると考えていたので、書き始めるのに始められない状態でいた。そんな今年('02)の2月中旬、中田敏之剣兄が保管されていた、先生の手元にあった手紙などの資料を多数借用する事ができた。その資料の中から先生自筆の、居合再開時の事情と思われる手記を見付けた。”求めよ、さらば与えられん”??である。私は先生同様に神仏等を特別信じる方ではない。でもこれは天佑神助かと大袈裟に感激した。先生が「小林それはここに書いてあるから読め。書いても良いぞ。」と言われたと勝手な解釈をして書き始める事にした。
足繁く落合忠男先生や中田剣兄のお宅を訪ねて話を伺った。昭和40年以前の東京都連盟の様子にについては、最も長く先生に師事をした西本昭夫先生・下原康男先生から、幾度も教示を頂いた。先生の兄弟弟子、つまり我々のおじ貴に当る香川の岩田先生・高知の竹嶋先生からも貴重な内容のお手紙を頂き、お話も聞かせて頂いた。特に岩田先生からは山本宅治先生のお人柄を伝える、「懐かしい恩師の思い出」の掲載をお許し頂き感謝している。その他多くの緒先輩・剣兄をお訪ねさせて頂いた。更に故酒井p一先生と故白石五郎先生の奥様にもお話を聞かせて頂いた。そしてそれらを通して先生の居合事跡とエピソードを知る事が出来た。又、併せて沢山の資料や写真の提供もして頂きページに色を添えることが出来た。今から40年以上前に書かれた山本宅治先生など明治の方々の書かれた達筆な手紙などは、筆者には十分に読み切れなかった。そこで大学で古文書の研究をする専門家の田中博美剣兄に手紙を読んでもらうなどもあった。それらをまとめさせて頂いて、今回の「居合小史」としてアップすることが出来た。
しかし現時点(2002/08)で調べきれない事も残った。それは、
@長尾景房先生の居合の事跡がほとんど判っていない。
A第一回昇段審査会の開催年月の資料的確認がとれていない。
の2点である。是非、ご存知の方や資料をお持ちの方が居られたらご教示頂きたい。
何はともあれ、不十分な部分もあるが先生の居合の事跡をまとめ、取り敢えずの記録が出来たことにホッとしている。インターネットという新しい媒体への掲載なので、今後もご覧になった方からの新資料や新たな事実が出てくることも予想される。その度に改訂を重ねていきたいと考えている。
先の「大田次吉小伝」と同じく、内容についての文責は全て小林士郎に帰します。
以下にご教示やお話を聞かせて頂いた方々のお名前を掲示し、謝辞に代えさせて頂きます。
山本宅治先生門下の岩田憲一先生、竹嶋寿雄先生。
他道場の川久保龍次先生門下の泉哲夫先生。明武館の小田島健先生、川口知男先生。
物故された御遺族の酒井ユリ子様、白石タキ様
大田門下の西本昭夫、下原康男、落合忠男、西岡寛治、山口克夫、東瀬啓二、石河順次、山田昌雄、田中稔、松浦剛、西知彦、大沼陽一、川嶋登、中川正治、野沢衛、中田敏之、田中博美、芹沢弘昌、大谷裕通、木下雅義、山本隆歳、杉浦薫の諸先輩諸氏。
ここに改めて御礼を申し上げます。皆様有難うございました。
小林士郎
2002/10/14
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