「懐かしい恩師の思い出」 |
平成14年5月30日 岩田憲一(90歳) |
先日埼玉県在住のO氏より恩師山本宅治先生の懐かしい思い出のお手紙を頂戴した。内容によると大田次吉先生の門弟でO氏が大田先生に居合を習い始めて二年目、昭和四十二年の夏高知の竹嶋寿雄先生に三日間致道館で指導を受け、その翌日高知市の山本宅治先生をお訪ねしたときのお話である。山本先生は御一人留守をされていて家人は不在であったと言う。O氏談 「三日前に高知に着き竹嶋先生に致道館で稽古をしていただきました。今日帰るので御挨拶に参りました。」と告げると「なぜもっと早く私の所へこなかったのか」と言われ、態々稽古衣に着替えられ、木刀をもって種々指導して下さった。その時先生は、 『居合は良い人になる為にやるのです。』 『もし仕事が忙しくなったら仕事を一生懸命やりなさい。そして出来るようになったら、又稽古をしっかりやれば良い。』 『居合の演武を見る時は切っ先をしっかりと見るのです。』 『居合は腹で抜き腹で切るのです。』 等々を木刀で所作を示しながら種々指導して下さったとのことである。 丁度私が恩師に指導を受けて十年後のことである。その時恩師は八十才を少し過ぎておられた筈である。 「なぜもっと早く私の所へこなかったのか」孫弟子にに対する最大の愛情である。大田先生も竹嶋先生も皆自分の指導した愛弟子である。それをおいても一早く来れば十分に教えられるのにと考える老師の最大の愛情の一言である。これが山本宅治先生の人柄であり、何はさておいても指導してやるぞと考られての言葉でもあると察せられる。そして又老令にもかかわらず態々稽古衣に着替え木刀を持って指導されたと言う。 『居合は良い人になる為にやるのです。』 この言葉は私よりすれば山本先生が大江正路先生に師事して修業された先生の思いでもあったと推測する。そして又先生自体大江先生に指導を受けながら、真面目に映画館を経営しながら裕福になり、山内豊健先生の飲酒代金等山内先生の気付かない内に支払ったり、種々の善行を人にかくしてまでしてきた、その心情等よりも、良い人になる為にやる心念の強い人でもあったと私は敬服している。 『若し仕事が忙しくなったら仕事を一生懸命やりなさい。そして又出来るようになったら、また稽古をしっかりやりなさい。』 これも山本宅治先生の歩んだ道でもある。恩師と私は技法を一ヵ年で修了しそれより二年半世情や道界の種々なお話を伺ったが、そのお話の中に先生は映画館の経営を初め六名で発足したが次々と止める人がおり、最後には恩師一人で経営した為面白い程儲かったとよく私に話された。そして大きなワニ皮の昔風の財布を常に持参されていたが、その時のお話になると懐(ふところ)から態々そのワニ皮の大きな財布を私に示して映画館経営時代は常にこの中に金が一杯入っていましたよと笑顔されていた。そして山内先生の飲代の支払い等何でもありませんでしたと呵呵大笑されていた。 『居合の演武を見る時は切っ先を見るのです。』『居合は腹で抜き腹で切りなさい。』 これが土佐伝統の道技の大切な処でありそれを一生守り通して指導した先生の指導理念でもある。即ち道技は斬るのだ。斬れない技法は道技とは云えない。の心情で終始された。故に私を指導していても『それでは斬れない。』の一言で良否は言はれなかった。斬れないの一言で終始された。 実に生一本で正道を歩み生一本で指導された良師でもあった。このような心情一筋を一般には『高知のイゴッソー』と言はれる所以でもある。私も今にして高知のイゴッソーがなつかしい。私の恩師福井春政・森繁樹・山本宅治・島崎輝之先生皆揃って立派なイゴッソーのお手本であった。 <京都大会会場前の山本先生と> 前列左より岩田先生、山本先生、大田先生 後列右端 斉藤正先生、 その他は香川県連盟の方々 (昭和39年頃) |